黒澤浩樹 武勇伝や実家が裕福は実話でトレーニングは壮絶!子育て本には感動 学生時代体験記

極真で有名な黒澤浩樹さんが逝去されました。武勇伝や実家の話は、学生時代、黒澤浩樹さんに極真空手を習っていたので真実といえます。今回は黒澤浩樹さんの当時のトレーニングと武勇伝、また実家の話、子育て本について思ったことをまとめていきたいと思います。逝去された黒澤先生と学生時代の恐怖を思い出しながら・・・
この記事の目次
黒澤浩樹 逝去
極真空手で名を馳せた、黒澤浩樹さんが3月25日に急性心不全のため54歳という若さで逝去されました。
[訃報]格通時代、僕は黒澤浩樹さんのことを「絶滅しそう最後のニホンオオカミ」と煽りました。同世代だし、とにかくカッコいい人で、思い入れも強い。心よりご冥福をお祈りします。 #巌流島 pic.twitter.com/AA7jX4KBK5
— 谷川貞治[5・6巌流島舞浜] (@SadaharuTany) 2017年3月29日
黒澤浩樹さんは極真空手から独立後、黒澤道場を設立。後に聖心館に改名。
1997年10月11日に開催された格闘技イベント『PRIDE.1』で総合格闘技に挑戦し、イゴール・メインダートの投げ技をこらえようとした際に右膝十字靭帯を断裂。
その後もK-1などで活躍されていましたが、長年右膝の後遺症に悩まされ続け、
「格闘家として万全な状態で自身の更なる精進と精度を高め、そして愛弟子達に最高の指導をすべく
昨年に膝の手術に踏み切りました。(聖心館公式facebookより)
そのリハビリ中でしたが、血圧が高い状態が続いており、それが急性心不全を引き起こしたと言います。
「黒澤浩樹の性格を察し、密葬を内々で行い荼毘に伏しました」(聖心館の公式facebookより)
なお、黒澤浩樹さんは前日までリハビリのなか、道場生に指導をおこなっており、逝去されたのは本当に突然だったようです。
現在、黒澤浩樹さんの遺骨は道場に安置されていて、弟子たちの稽古を見守っているとのこと。
黒澤浩樹 武勇伝は真実
現在、黒澤浩樹さんが逝去されて、ネット上では武勇伝が出て、真実か?とされていますが、どれも真実です。
共にPRIDEを立ち上げ、PRIDE.1には選手として出場された黒澤浩樹さんが逝去されました。
黒澤さんからは、絶対に退かない姿勢、諦めない魂を学ばせていただきました。心からご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/ciCYU4K4hm
— NOBUYUKI SAKAKIBARA (@nobu_sakakibara) 2017年3月29日
平成3年6月の全日本ウェイト制選手権で、試合中に薬指の開放骨折をしていたがドクターストップされるまで戦い続けた。
この武勇伝は、衝撃的でした。
当時、日曜の昼間にテレビで放送されていた全日本ウェイト制選手権を、観ていたのですが、
黒澤浩樹さんの手のあたりがなんか変なんですよね。でも試合は続行している。
よくよく見ると、指の骨が折れて出てしまっているんですよ。
そして、皮というか肉でかろうじてつながってダラーンとしている。
「うそうそ?」
と、信じられなくて友人と目を丸くして観ていたのを覚えています。
現在なら、間違いなくモザイクがかかっているでしょう。
さすがにドクターストップがかかって、試合が終わりましたが、黒澤浩樹さんは悔しくて泣いていたんです。
本当、言葉が出なかったですね。
相手の脚を下段回し蹴りで折ってしまい、16万円の慰謝料を取られた。
この武勇伝も本当の話で、以降、試合で黒澤浩樹さんが下段を放つと、
「16万!」
と、掛け声が出るようになりました。
東海大学時代、空手部、応援団 などをいじめていた、
暴走族をボコボコにしたと言う武勇伝は、道場生の間ではかなり具体的に話が出回っていました。
しかも、相手は数十人だったといいますが、当時の黒澤浩樹さんの怪物級の強さなら全然盛っていないでしょう。
でも、本当に武勇伝というならば、1984年に開催された第16回全日本空手道選手権大会に初出場で初優勝。
22歳という最年少優勝。
これが本当の武勇伝ではないでしょうか?
黒澤浩樹のトレーニングは恐怖
黒澤浩樹先生ピンナップ。 pic.twitter.com/IeJIEV148L
— Leo (「拳の眼」管理人) (@Leo_thunderbolt) 2017年3月29日
黒澤浩樹 トレーニングで検索すると、どれも
「ベンチプレス200kg、スクワット350kgすごいですね」
と、同じようなものしか出てこないので、当時のトレーニングを知る私からいくつかエピソードを。
極真時代、黒澤浩樹さんは、城西支部の代田橋道場で指導していました。
「下段の黒澤」と呼ばれた、黒澤浩樹さんですが、その鍛え方、トレーニングは異常でした。
道場の中には足のスネの骨を潰して固くするために「砂袋」と呼ばれるものがありました。
この砂袋も砂がぎっしり詰まって、コンクリートのように堅いのですが、これをコツコツ蹴り続けていると徐々にスネが固くなっていくわけです。
黒澤浩樹さんはこの砂袋ではものたりず、砂袋をぶら下げて固定している、鉄のパイプをゴンゴン蹴っていました。
あるとき黒澤浩樹さんが、
「効かねーな-」
と言い、
道場の端まで歩いていき、走って勢いをつけて鉄のパイプを蹴っていました。
もちろん黒澤浩樹さん本人は全く痛がっていなく、不敵な笑みを浮かべていました。
また、当時の黒澤浩樹さんの稽古、トレーニングは地獄でした。
突きや蹴り、型なども他の指導者に比べ量が多く苦しいのですが、何よりも恐怖だったのがスパーリング。
黒澤浩樹さんはあまり加減をする人ではなかったので、本当に恐怖でした。
稽古、トレーニングが終わると、黒澤浩樹さんの下段を喰らって、モモがどす黒くアザになり、代田橋の駅周辺をびっこをひいて歩く人間が山のようにいました。
黒澤浩樹の実家が裕福は本当?
黒澤浩樹さんの実家が裕福と言う話ですが、この話も本当のようです。
wikiなどでは裕福な家庭に生まれ、幼少期はバイオリンを習っていたとされています。
それ以外でも、極真時代の先輩に聞いた話では、黒澤浩樹さんは実家が裕福で仕事をしていかなくても稽古やトレーニングに打ち込める、と聞きました。
他の指導者や、大会に出るような選手でも、空手はプロの仕事では無かったので、他に本業があったり、城西支部の分支部という形で道場経営をして生計を建てていました。
それをしていなく、自身のトレーニングと指導員だけといった生活をしていたことからも裕福だったんじゃないかなと思います。
噂では黒澤浩樹さんはフェラーリに乗っていて、それにイタズラしていた暴走族をボコボコにしたという話もありました。
黒澤浩樹が子育て本とはビックリ!
そんな、当時の恐怖の黒澤浩樹さんを知っている人間としては子育て本を出していたとは、正直びっくりしました。
当時は子育てとは無縁の世界で、ただただマシーンのように強さを求めていたように思えます。
しかし、この子育て本、読んでみると中々いいことがたくさん書いてありました。
子供とはいえ、ちゃんと人間として認めて子育てをすると書いてあり、子育てをする上で参考になることがたくさんありました。
何より黒澤浩樹さんのお子さんに対する愛情が伝わってくる子育て本でした。
黒澤浩樹 武勇伝やトレーニング実家の話 まとめ
突然の黒澤浩樹さんの逝去の報を聞き、ネットをみたら驚くほどの方がネットに書き込みをしていました。
日本オオカミ 格闘マシーン
黒澤浩樹さんが亡くなりました。空手やってた時は憧れてました。
また伝説が1人減ってしまいましたね。
御冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/4ypBdxWf74
— おちゃっちゃんまん@全部お茶丸が悪い (@shela9201) 2017年3月29日
何より、一、空手家の逝去をYahoo!がニュースで取り上げたのが驚きでした。
それだけ、黒澤浩樹さんが他の格闘家に比べて際立った存在だったのがわかります。
ただ、ネットを見ても武勇伝、実家、トレーニング など どこも同じような情報しか無かったので、数十年前ですが当時黒澤浩樹さんに稽古をつけてもらったり、話をさせてもらった人間として、>記憶をたどりながら、よりリアルな記事を書かせてもらいました。
あらためて、黒澤浩樹さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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